玉前神社の社務所として使われていた時代の白寿庵の内装の様子は、どうだったのだろうか。写真の部屋は、図の左上にある床の間のある部屋であることがわかった。この部屋は白寿庵唯一の床の間のある部屋で、一番上等な部屋だっただろう。部屋に集まっている人物4人はいずれも立派な風貌(ふうぼう)をしているので、身分のある人たちだろう。
床の間の掛け軸は水墨で山水画を描いたもので、右の軸端に風鎮という飾りを付けてある。こうした丁寧な掛け方は、掛け軸の掛け方を知っている人の仕事である。この軸装の本紙の上下にある一文字(いちもんじ)と呼ばれるところに、極めて明るく見える丸みを帯びた三角や花菱形の部分が見える。これは金箔を使っているためかと思われる。
図は白寿庵解体時の平面図で、これによると床の間の右は扉が付いている。物入れのような場所だろう。その扉に描かれている模様は、五三桐(ごさんのきり)紋で、明るく光っているように見えることから金箔ではないかと思われる。五三桐紋は織田信長が足利義昭から拝領し、豊臣秀吉に与え、秀吉はさらに天皇からも下賜されて豊臣家の家紋となった。秀吉は、この紋を配下に配り、その配下がさらに配下に配り、いまではよく知られた家紋となっている。扉の地の色は白黒写真からではわからないが、白寿庵が宗教関係施設であること、それも社務所という聖なる建物であることを考えると、あるいは朱色とか丹(に)色といった秀吉由来のハデな赤い色だったという想像をしたい。
白寿庵は素晴らしい近代和風建築で、再建計画がある。当時の内装を再現するにも写真が不可欠である。白寿庵が写った写真をお持ちの方は、ぜひご連絡をお願いしたい。
睦沢町立歴史民俗資料館 学芸員 久野一郎